トッドを知ろう
Amazing but True !
BT’s Big Comeback Story
記事提供=BUZZ GOLF
執筆・佐渡充高(NHK・PGAツアー中継解説者)
828日間70切れずから 2週連続優勝の倍返し
今季PGAツアー序盤、昨10月末にタイガー・ウッズがZOZO選手権でツアー最多記録に並ぶ82勝を達成。日本の地での復活劇は喝采の嵐となった。このウェイブはその後も続き、3試合連続優勝に挑む選手が登場。それがブレンドン・トッド(35)通称BTだった。19年最後の開催となるRSMクラシックで3週連続優勝に挑み、残念ながら連覇達成はならなかったものの、彼の大復活劇も多くの人に勇気と希望を与えたのだった。
怒涛の4週間 世界ランク2043位から VV(連勝)大復活劇
11月3日、ブレンダン・トッド(35)通称「BT」がバミューダ選手権で今季初優勝、通算2勝目。4試合連続予選落ちからのV字回復、最終日7連続バーディを含む62で大逆転優勝。同週は前季年間王者ローリー・マキロイの世界選手権HSBCチャンピオンズ優勝がニュースを独占したのでトッドの優勝は大きな話題にならなかった。
BTの快進撃は続いた。翌週はツアー開催がなく、2週後にメキシコで行われたマヤコバゴルフクラシックでも逃げ切り優勝を飾り2試合連続優勝! 一躍、時の人に躍り出た。次戦RSMクラシックで優勝すれば3試合連続優勝のタイ記録達成で彼のプレーに熱い視線が注がれた。大きな期待を背にBTは単独首位で最終日を迎えた。開催コースは相性抜群の得意コース。ジョージア大学1年生の時に個人優勝を果たした幸運の地だった。ファンも彼自身も偉業への期待は最高潮に! 3試合連続優勝なら06年タイガー・ウッズ以来14年ぶりの快挙達成となる。が、ハイプレッシャーが影響してか5番でダボにするなど苦戦しスコアを伸ばせず。惜しくもタイラー・ダンカンに逆転を許す展開になってしまい、大健闘も結果3打差の4位に終わった。
とはいえBTの健闘に大きな拍手と惜しみない賛辞が贈られた。年前の初優勝後にスランプに陥り世界ランク位まで下降。そこからたどり着いた連勝は悩み苦しんだ自分へ倍返し。洗練のパフォーマンスを完全回復し、その時点でポイントランク1位に浮上した。
奇跡を呼ぶ男 2日連続同じホールで ホールインワン達成
BTは「ミラクルマン」としても知られる。プロ転向2年目、下部ツアー時代の09年4月17日、アセンズ・リージョナルクラシック2日目の事だった。会場はジョージア州アセンズのジェニングス・ミルCC。母校ジョージア大学のホームコースで戦略を熟知した点はアドバンテージだった。大会2日目、初日にホールインワンを決めた8番ホールに来た。同日のピン位置は手前で距離は前日より10ヤード短い147ヤード。番手は前日より1つ短い8番アイアンを選択。打球は高く舞い上がりピンに真っすぐ向かっていった。打球がグリーンに落ちた次の瞬間ボールが消えた。何と2日連続ホールインワン達成! 同じホールで2日連続エース達成は同ツアー史上初の出来事となった。
ちなみに1試合における複数回ホールインワンは04年全英シニアオープンでグラハム・マーシュが初日と3日目に達成。PGAツアーでは06年宮里優作、94年ボブ・ツウェイ、94年グレン・デイ、64年ジャック・ルール、55年ビル・ウェドン。宮里とウェドンの2人は18ホール同じラウンド中に2回達成している。
ライバル&親友 ウェブ・シンプソンの メジャー優勝に奮起
BTは1985年7月、鉄鋼産業で発展した東部ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。ジュニア時代、粘り強いプレーをすることから「グリース(油)トッド」と呼ばれ同世代では無敵だった。中学生でノースカロライナ州に転居後、同地にシンプソンという凄腕がいると知り、いつか対戦してみたいと思った。
初対面はドナルド・ロス・ジュニア選手権。地元強豪シンプソンもBTの噂を聞き強い関心を持っていた。初対面で2人は即! 意気投合。以降、良きライバル、仲間として切磋琢磨する関係になっていった。
BTはジョージア大学に進学し、在学中はショットの安定感が増し主力選手として躍動。チームメイトはツアー4勝クリス・カーク、昨季世界選手権マッチプレーなどツアー3勝のケビン・キスナー、レフティーでツアー2勝ブライアン・ハーマン、ビッグヒッターで1勝のハドソン・スワフォードら全米屈指のスター集団だった。
07年プロ転向、08年から下部ツアーに参加しユタ選手権で初優勝。賞金ランク25位以内に入り09年から念願のPGAツアー昇格。が、5試合しか予選を通過できずシード落ち。下部ツアーと行ったり来たりしながら実力を蓄え、遂に14年バイロン・ネルソン選手権で初優勝。全英オープン勝者ルイ・ウーストハイゼンを破る大金星だった。同年ランク30位までしか参加できない最終戦ツアー選手権に初出場するなど、大躍進の始まりを予感させるシーズンだった。
その背景にはシンプソンの大活躍に対するジェラシーがあった。12年シンプソンは全米オープンに優勝しメジャー勝者という垂涎の称号を得た。友人として喜ぶ反面、悔しさもこみあげてきた。BTの当時の世界ランクは500位前後で浮上の契機を求めコーチをスコット・ハミルトンに、ボストン在住スポーツ心理学者ビル・マッキンニーの指導を受け、14年の初優勝につなげたのだった。
負の連鎖を勝利の連鎖へと 転じた驚異のメンタルタフネス
喜びも束の間、大きな試練が待ち受けていた。PGAツアー勝者がフルスイング・イップスで828日間も70を切れない暗黒の日々を過ごすことになろうとは…。
14年ランク27位と自己最高の成績で終え翌15年も快進撃が続き年間王者を決めるプレーオフシリーズ進出。その3試合目BMW選手権最終日に「まさか」が起きてしまった。大会3日目ジェイソン・デイ、ダニエル・バーガーとプレーし迎えた18番2打目。フェアウェイから212ヤード、4番アイアンの打球は50ヤードも右に曲がりトリプルボギー。この一打がショットのイップスを誘発し、やがて自信は完全消失。翌16年は出場29試合中予選通過4回で下部ツアー落ち。憂鬱な日々が続き一時は「ツアープロを辞め、他の仕事で生きていくことを本気で考え始めた」という。
転機は突然、訪れた。18年夏、もがき苦しむ彼を助けようと大学時代のチームメイトがブラッドリー・ヒューズを紹介。ヒューズは豪州出身でPGAツアーでのプレー経験もあるインストラクター。BTは18年出版され評判になっていた彼の著書「ザ・グレート・ボールストライカー」を読み、是非会ってみたいと思っていた。
すぐに基礎練習から指導を受け、提示されたドリルを6週間、ひたすら続けた。加えて下部ツアーのキャディからパフォーマンスコーチに転身したワード・ジャビスから言葉が影響する「ランゲージ・イップス」の克服が必要だと助言を受けた。さらに元大リーガーのリック・アンキール(投手から外野手に転向しメッツやカーディナルスなど6球団で活躍)の著書を勧められ熟読。友人たちはBTという逸材を救わねばと手を差しのべ、BTもその思いに応えたいと猛練習。技術面で確かな回復の兆しが現れ「また勝てる日が来る」とポジティブな気持ちも抱けるようになっていった。
長いトンネルを抜け今季のポイントランクは8位(7月第4週現在)、年間王者も狙える好位置。メジャーや世界選手権などビッグな大会出場の機会も増え、さらなる飛躍のチャンスも到来。BTのプレーは品と質を兼ね備えた洗練のゴルフ。そこに絶体絶命の危機から生還した自信が加わり、より勝負に強いワイルドな選手へと変身した。