進化のイデア 第三章
フォーティーンは現代に至るゴルフクラブの進化の礎を作り上げてきたメーカーである。その道を導いてきたのは創始者・竹林隆光。職人の勘に頼っていたクラブ作りに力学を導入し、既存と一線を画したアイデアを形にして、ゴルフクラブを進化させてきたのだ。
記事提供=ゴルフクラシック
三章 既存を疑い、力学で斬る世界初の中空アイアンを生んだ重心深度とギア効果のメカニズムの気づき
竹林がクラブを研究すること、それは既存の理論を疑うことが全てだったと言える。
「例えばパーシモンの頃は、重心が低いからボールが上がりやすい。こんなことが当然のように語られていたものです。ところが実験してみると明らかに事実に反していた。ティアップして打つドライバーは、低重心ヘッドにすることでボールのバックスピン量が抑えられ、決して上がりやすくなるわけではありません。当時は、誤った解釈ばかりがゴルフクラブの定説とされていました」。
一つの理論があれば、果たしてそれが真実か、まずは疑う。その理論が真か否かを判断するために、竹林はゴルファーの視点でクラブの力学を研究し続けたのだ。
現在のようにクラブ設計がコンピューター化された時代なら、力学的根拠を導き出すことは簡単なことだったかもしれない。数値を入れてシミュレーションしてみれば明確な答えがはじき出される。だが、当時はもっぱらトライ&エラー。試作しては試し、試しては試作の繰り返し。気の遠くなるような作業だったが、むしろそれは竹林にとっては“やり甲斐”でしかなかったのだ
目指したのは
ほどよいギア効果
80年、竹林は世界初の中空アイアン『グランド・シルバード』(ヨコオゴルフ)を完成させる。じつはこれより以前、一つのモデルを仕上げていた。
「ワイドソールで低重心を狙った軟鉄鍛造アイアンで、キャビティ部にはステンレス板をはって、簡易な中空構造にしたものでした。ボールはよく上がったが、格好はもう一つだった」。
残念ながらヒットには至らない。余談だが、後にベン・ホーガンが同様のコンセプトをもつ軟鉄鍛造キャビティ『エッジ』を発表。その大ヒットを見て、「ステンレス板でふたをしなければよかった(笑)」と竹林は振り返る。こうした経験を経てたどりついたのが『グランド・シルバード』だった。
根本の発想はこうだ。ウッドはトゥ寄りに当たるとボールは左へ飛ぶが、アイアンは右へ(右利きの場合)。なぜ? 着目したのがギア効果、重心深度だった。
「インパクトの瞬間、当然、ヘッドはボールが当たった部分が衝撃で後方に押し返されます。ヘッドの重心を軸に押される(回転する)わけですが、ヘッドの奥行き(ボリューム感)があるウッドにはギア効果が生じることがわかりました。すなわち、ボールにはヘッドと逆方向への力が加わる」。
ヘッドを上から見た場合、ヘッドのトゥ寄りにボールが当たると、トゥ側が後方に押されると同時にボールには逆の力、ドロー回転がかかる。ところが、重心深度が浅いアイアンではギア効果がほとんど発生しない。
「ならば、ある一定のヘッドスピードで打った場合、ウッドとアイアンの中庸を行くヘッドを作ればボールはまっすぐ飛ぶはず。根本の発想はこんな単純なものでした」。
稚拙な着想と竹林は一笑に付すが、こんな狙いも隠されていた。
「当時はドライバーよりスプーン、スプーンよりバッフィと番手が重なるごとにウッドは弾道が高くなった。つまり距離に応じて弾道の高さが一定に変化したわけです。ところがバッフィの次にくる2Iや3I、つまりアイアンになると弾道は著しく低くなる。とくにアゲインストで、この高低差を克服するのはとても難しい部分でした」。
もう一つ、パターを除いた13本を同一のコンセプトで作りたかったという。ステンレスヘッドのドライバーに、やや小ぶりのステンレスフェアウェイウッド、そして3I相当にはバッフィをやや小ぶりにした中空アイアン。ドライバーからウエッジまで、形状がリニアに変化するクラブセットを作りたかった。だが、世はステンレスヘッドドライバーが登場する以前。竹林も試みたが、断念せざるをえなかった。
「ヘッド重量を計算すると肉厚は1㎜以下にしなければならなかったのですが、当時の鋳造技術ではとても無理だった・・・」。
後ろ髪を引かれる思いはあったが、情熱を中空アイアンに傾けた。
砂を溶かして
ヘッドを空に
中空アイアンを実現させるには想像を絶するほどの苦労があった。
「今にすれば、ヘッドを2ピースで作り、それを溶接すれば済む話ですが、当時は溶接技術の問題もあり、そんな方法は思いもよりませんでした」。
結局、竹林を中心とした開発チームはアルカリ性の溶液で溶ける砂(中子(なかご))をヘッド内部に入れ成型。成型後、トゥ側に数ミリ大の穴を開け、そこから砂を溶かし出し、最後にステンレスのピンで穴を溶接して塞ぐという方法を採用する。
「薄肉部分の金型作りも、砂の取り出しも、至難を極めた。当時の職人は薄いものの研磨に慣れておらず、時には研磨しすぎて穴が開いてしまうこともありました」。
苦悩の結果、完成したヘッドは結果も良好だったが、売れなかった。
主流は軟鉄鍛造コンベンショナル、アイアンは何よりもシャープさが要求された時代だ。
「中空にしたことでヘッド後方にはボリューム感がありました。特にロングアイアンではアドレスするとヘッド後方部がまる見えになる。これが許せなかったようですね」
確かにゴルファーに受け入れられなかった。この世界、ヒットしなければ失敗と取られても仕方がない。だが、中空ヘッドを生み出した経験は、その後、キャビティ構造を簡単なものにしてしまった。いわゆる開発技術の進化をもたらしたのである。
時を経てフォーティーンとして『HI‐858』を生み出す。21世紀を迎え、フォーティーンがクラブメーカーとして新たなスタートを切った直後に生まれたこの大ヒットモデルだ。
「機能に優れるものの、いまひとつ高い評価が得られない中空アイアン。ならば、やはり自分たちで作るしかない、これが中空アイアンの本当の力だというものを」。
深重心にとどまらず、低重心、高慣性モーメント、あるいはスコアリングラインの工夫で反発性能を高め、心地よい打感も詰め込んだ。その威力は、02年にアーニー・エルスの悲願の全英オープンVに貢献し、瞬く間にツアーに浸透する。およそ20年の歳月をかけ、中空アイアンの威力を証明してみせたのだ。