2019/07/14

進化のイデア 第四章

進化のイデア 第四章

フォーティーンは現代に至るゴルフクラブの進化の礎を作り上げてきたメーカーである。その道を導いてきたのは創始者・竹林隆光。職人の勘に頼っていたクラブ作りに力学を導入し、既存と一線を画したアイデアを形にして、ゴルフクラブを進化させてきたのだ。

記事提供=ゴルフクラシック

竹林隆光

たけばやしたかみつ、1949年東京都生まれ(2013年没)。大学からゴルフを始め、卒業後ゴルフメーカーに就職する一方で競技ゴルフを続ける。77年日本オープンではローアマを獲得。81年に独立し、フォーティーン創立。内外メーカーのヒットモデルを設計・開発。00年を迎えるころには自社モデルを幅広く展開。中空アイアン『HI-858』、強烈スピン『MT-28』ウエッジなど大ヒットモデルを世に送り出す。

四章 いくつものタブーを覆したヘッドスピード別アイアンの設計

同じ考えを持った
メーカーが出現



81年、晴れて竹林は独立、群馬にゴルフクラブ工房フォーティーン(当初は藤岡、その後現在の高崎へ)を設立する。主に設計委託中心のスタートだったが、早くも大資本、なんと横浜ゴム(プロギア)から依頼が入る。

プロギアがスポーツ事業分野に本格参入したのは83年。同年には、既存品とは異なるヘッドスピード別設計ボールを発表。その第2弾として、同じくヘッドスピード別に設計したクラブ(アイアン)、それが竹林に出されたリクエストだった。

「ゴルファー別にクラブを作る、それは私たちがずっとやってきたことだったので、やっと自分たちと同じ考えをもつ会社が現れた、そんな思いを抱いたものです」

手掛けたモデルは『500シリーズ』(3機種)。「三兄弟」とアピールされた中空アイアンだった。

「ヘッドスピード別に、理想的な重心距離、重心深度、重心高に設計したクラブです。重心距離や重心深度に関して言えば、ヘッドの慣性モーメントで考えればもっと分かりやすかったのでしょうが、当時はその概念がなく重心距離、重心深度、それぞれの視点から設計。ただし全番手が中空というわけではなく、例えばハイヘッドスピーダー用はロングアイアンだけ、ローヘッドスピーダー用はミドルアイアンまでと、ヘッドスピードに応じた中空構造を採用しました」。

発想も技術も、当時は群を抜いていた。『500シリーズ』には、新機軸から当時のタブーまで、その数々が詰まっており、クラブ作りの大きな分岐点となったモデルになった。

イメージを
数字で表す



当時のアイアン事情を振り返ると、一部ロストワックス(鋳造)モデルもあったが、主流はもっぱら軟鉄鍛造。サビ防止用にメッキが施され、キラキラ光っている、それこそが正当なアイアン像だった。

また前章でも触れたように、ソール幅があるアイアン、すなわちアドレス時にソールが見えるものは絶対NG。形状もマッスルバックだったゆえ、重心は高く、重心距離は短い。つまりハードスペックなものだった。

「6番アイアンで150ヤード飛ばしましょう。そんな時代の話です。せいぜい一般ゴルファーが打てるのは5番、ロフトにして32度ぐらいまでとされていましたが、じつはそれも思い込みが大きく、実際のところは7番、ロフト38度ぐらいまでが限界でした」。

そして『500シリーズ』の登場。ステンレス鋳造で作られたヘッドに光沢はなく、ソール幅もタブーとされていたワイドに。

「竹林さん、あなたも試合に出ていたからわかるでしょ、ソールが見えたらダメなのは」。

周囲からはそんな声も聞こえてきた。が、それは確固たる考えから生まれた形状。決して譲れない部分だった。

「私たちは漠然としたものを数値化してきました。例えば、ボールを包み込むようなイメージ、あるいは引っかからないクラブなど、しばしばゴルファーが口にすることですが、よく考えると、具体的にどういうことかわからない。懐にどんなラウンドがあれば包み込むイメージになるのか、ソールのどんな形状が引っかかる印象を持たせるのか。どれをとっても感覚的な表現ばかり。私たちはプロゴルファーと職人と技術者の間に入り、打ち手(プロ)が望むものを作り手(職人)や設計者に正確に伝える、そのためにも数値化は欠かせないものだったのです」。

感覚的な表現を一つ一つ解消していく、竹林はそう表現したが、それはじつに地道な作業だ。しかし、こうした数々の研究から裏づけられた答え、それが『500シリーズ』の画期的なパフォーマンスとして実現することができた。

職人の勘どころに
終止符を打つ



80年代前半と言えば、いわゆるバブル経済のちょっと前、その光が見えてきた頃のこと。とはいえ、プロギアからの依頼は破格、ゴルフ界にはないものだった。だが、いざ発売されると、その機能が既成概念を吹き飛ばす。それまで使いこなせなかったロングアイアンが打てるようになる。ゴルファーが飛びつかないわけはなかった。

「(ソールのタブーも)“性能がよければ見えてもいいんだ”になった初のアイアンでした」。

成功以上に掛け替えのない実体験を得ることができた。

「当時、研究は出来ても、なかなかそれを形にする機会はなかった。『500シリーズ』の設計に立ち会えたことで、いろいろなことが試せた。とても勉強になりました」。

余談になるかもしれないが、この時の設計図面が後の世界のクラブ作りのスタンダードになる。

「その頃、各社の設計図面は統一されておらず、出来上がったものに対する現物合わせの図面でしかなかった。それ以前に、メーカーとの打ち合わせでも、“プロ用はやっぱこうだよね”なんて言いながら、右手を伸ばし、手首を返す仕草でやり取りする、そんな世界だったのです」。

現在、クラブ設計は3次元CADがもっぱらの時代。フォーティーンが作った設計図も過去の遺物になった。が、そのとき確かに、漠然としたイメージからのクラブ作り、職人の勘どころに頼っていた時代から、クラブは大きな、大きな一歩を踏み出していた。

「それからは父親が使っていないクラブを引っ張り出して、ずいぶん壊しましたね。別に壊そうと思っていじっているわけではなかったのですが、あれこれやっていると結果的に壊れていた(笑)」。

クラブ設計家・竹林隆光が、第一歩を踏み出した瞬間だった。