2019/08/14

進化のイデア 第五章

進化のイデア 第五章

フォーティーンは現代に至るゴルフクラブの進化の礎を作り上げてきたメーカーである。その道を導いてきたのは創始者・竹林隆光。職人の勘に頼っていたクラブ作りに力学を導入し、既存と一線を画したアイデアを形にして、ゴルフクラブを進化させてきたのだ。

記事提供=ゴルフクラシック

竹林隆光

たけばやしたかみつ、1949年東京都生まれ(2013年没)。大学からゴルフを始め、卒業後ゴルフメーカーに就職する一方で競技ゴルフを続ける。77年日本オープンではローアマを獲得。81年に独立し、フォーティーン創立。内外メーカーのヒットモデルを設計・開発。00年を迎えるころには自社モデルを幅広く展開。中空アイアン『HI-858』、強烈スピン『MT-28』ウエッジなど大ヒットモデルを世に送り出す。

竹林隆光

たけばやしたかみつ、1949年東京都生まれ(2013年没)。大学からゴルフを始め、卒業後ゴルフメーカーに就職する一方で競技ゴルフを続ける。77年日本オープンではローアマを獲得。81年に独立し、フォーティーン創立。内外メーカーのヒットモデルを設計・開発。00年を迎えるころには自社モデルを幅広く展開。中空アイアン『HI-858』、強烈スピン『MT-28』ウエッジなど大ヒットモデルを世に送り出す。

第五章 アイアンの弾道を一変させた 重心アングル設計

十年来のファンを
無視してでも



フォーティーンとしてプロギア『500シリーズ』のOEM設計を成功に収めると、竹林に対する周囲の評価も次第に変わってきた。

「数字でクラブの何がわかる?」「いいクラブはいい職人が作るものだ」

設計値や理論が前面に押し出される昨今、にわかには信じ難いが、当時はそれがあたりまえ。新しい風を吹き込もうとする竹林の耳に聞こえてくるのも、そんな非難の声ばかりだった。だから、『500シリーズ』の成功にまゆをひそめた向きもいたことだろう。何よりも伝統を重んじる競技、少なくとも手放しで大歓迎という空気ではなかった。

が、しばらくすると今度は海外ブランド、パワービルトから依頼が届く。パワービルトと言えば、かつて青木功やジャンボ尾崎も愛用したほどのゴルファーブランド。日本では不動産や観光、運輸事業などを展開する一大企業、国際興業が取り扱い(当時)、依頼も同社からのものだった。ただし、『サイテーション』で一世を風靡した頃に比べ、その勢いは減速し始めていた。

「設計依頼の話があり、担当者からいきなり、取引するにあたってまず重役に会ってほしいと。面接ではないですが、雰囲気としてはそんな感じで、“大学入学の直前、父が買ってくれた最初のクラブがパワービルトでした”、そんな受け答えをしたのを覚えています(笑)」

“面接”はすんなりと済んだものの、設計依頼の内容はのめるものではなかった。

「十年来のパワービルトファンがいる。そうしたファンを裏切らないモデルを作ってほしい」

すなわち、従来の伝統は崩さないでくれ。

「伝統にとらわれたクラブ作りこそファンが離れた要因、そう思っていたから反対しました。あえて『Power Bilt』の刻印を外すことを提案しました」

完成したその名は『モメンタム』アイアン。確かにあらためて確認すると「Power Bilt」の刻印はそこになかった。

きっかけとなった
上司のひと言



「重心アングル設計を採用し、(全番手)7番感覚で楽に振り抜けます」

当時、カタログに打たれた『モメンタム』のキャッチコピーだ。

「重心アングル???」

ゴルファーにしてみれば?が頭にいくつも浮かんだことだろう。時の資料によれば、同社の営業部員が1年間も勉強会を行ったというほどだから、ゴルファーが戸惑ったのも当然か。きっかけは少々さかのぼる。竹林がメーカー勤務をしていた頃の話。

「竹林君、クラブを机に置いてヘッドだけ垂らすとフェース向きがバラバラ、これ何かおかしいよね」

上司のそんなひと言だった。

「確かに……」

上司の言葉が竹林の“既存を疑う”心に火をつける。そして、レッスンでのフェース向き、それが解決のヒントになる。

「テークバックでの理想のフェース向きがよく取り上げられますが、ここを突き詰めていくと答えが見えてきました。テークバックでは常にフェースが開こうとしています。ヘッドの重心が、その重みでシャフトの下に入ろうとするためです。実は、このフェースが開こうとする力はとても重要なポイントで、この力が働くからこそゴルファーはスイング中にフェースの向きがわかる。ですから開くことは大事なのですが、開きすぎるとインパクトまでに閉じ切れない」

さらに研究を進めると、7番アイアンの重心アングルが最も使いやすい、ボールをつかまえやすい番手ということがわかってくる。

「『モメンタム』では『GA‐1100、1300、1500』の3タイプを作りましたが、この数字が実は重心アングルを表していました。1100は11度、1300は13度、1500は15度。幅をもたせたのはヘッドスピードによってフェースが返るタイミングが異なるからで、ヘッドスピードが速いゴルファーにとってヘッドが返りすぎると、今度は逆にヒッカケの問題が出てくるからです」

グース度(フェースプログレッション)、重心距離、さらにはソール幅などを綿密に設計することで『モメンタム』は全番手の重心アングルをほぼ同一に設定。評価はいかに・・・。

TC-560FGの重心測定(イメージ写真)

TC-560FGの重心測定(イメージ写真)

転職となった
衝撃な一打



それなりにヒットは見たが、大ヒットには至らない。だが、衝撃の出来事が待っていた。当時のアジアツアー最終戦のテレビ中継での話。茨城GC西コース17番、距離約200ヤードのパー3。優勝争いを演じる杉原輝雄が手にしたのは『モメンタム』の4番。打球はグリーン奥エッジまで転がった。一方、世界の長距離砲セベ・バレステロス、脂が乗った尾崎直道はいずれも3番で打つもグリーン手前にオン。小柄の杉原がビッグヒッターを向こうに、しかも1番手下でオンさせるインパクトは十二分だった。

軽くて、飛んで、しかも使いやすい。瞬く間に『モメンタム』は大ヒットモデルに躍進する。

「本数にして100万本以上。当時は10本セット、中には11本セットもあったから一概に言えませんが、今は10万本売れたら大ヒットと言わる時代です。もちろん、バブル(景気)だったこともあります」

実は重心アングル以外にも『モメンタム』にはいくつかのチャレンジがあった。

「一つはスイングウェイト。当時はD0でなければクラブは売れないとされた時代でしたが、C8にしました。“はっ? C8! いったい誰がこんな軽いクラブ使うんだ”、周囲の反応はそんな感じでした」

そしてもう一つ……。

「各番手のフェースを相似形に。その頃は番手間の顔の違いが大きく、特に7番と8番はかなりの違いがありましたね」

これに対しては意外なところからクレームが入る。

「何番で打ったかわからないじゃないか」

同伴競技者からの声だったが、してやったり。竹林にはむしろ心地よいクレームだった。軽い(一般アマの適正重量)ゆえに気持よくスイングできる。しかも、確実にボールがつかまるから飛距離も伸びる。ゴルファーが漏らした感想は、正に言い得て妙だった。

ピンやリンクスが浸透してきた背景もあるが、『モメンタム』ヒット以降、「アマ用クラブ」という概念がゴルフ界に確実に根づいていく。