2019/11/14

進化のイデア 第八章

進化のイデア 第八章

フォーティーンは現代に至るゴルフクラブの進化の礎を作り上げてきたメーカーである。その道を導いてきたのは創始者・竹林隆光。職人の勘に頼っていたクラブ作りに力学を導入し、既存と一線を画したアイデアを形にして、ゴルフクラブを進化させてきたのだ。

記事提供=ゴルフクラシック

竹林隆光

たけばやしたかみつ、1949年東京都生まれ(2013年没)。大学からゴルフを始め、卒業後ゴルフメーカーに就職する一方で競技ゴルフを続ける。77年日本オープンではローアマを獲得。81年に独立し、フォーティーン創立。内外メーカーのヒットモデルを設計・開発。00年を迎えるころには自社モデルを幅広く展開。中空アイアン『HI-858』、強烈スピン『MT-28』ウエッジなど大ヒットモデルを世に送り出す。
竹林隆光 たけばやしたかみつ、1949年東京都生まれ(2013年没)。大学からゴルフを始め、卒業後ゴルフメーカーに就職する一方で競技ゴルフを続ける。77年日本オープンではローアマを獲得。81年に独立し、フォーティーン創立。内外メーカーのヒットモデルを設計・開発。00年を迎えるころには自社モデルを幅広く展開。中空アイアン『HI-858』、強烈スピン『MT-28』ウエッジなど大ヒットモデルを世に送り出す。
@フォーティーン

八章 コツコツと歩んできた 確かな進化の道程

まことしやかに言われる理論の何が正しく、何がまちがっているのか。感覚的にゴルファーが口にする言葉、例えば「粘る」シャフトとはいかなるものを指すのか。その答えを見つけ出すために繰り返してきた数々の実験。一つ一つ確かな道を見い出し、そこに向かって竹林は突き進む。

狙い通りの機能に
導く設計技術



幾多の実験を重ね、また設計・開発を進めるうちに竹林はある確信を深めていた。もちろん慣性モーメントや重心の位置、力学的に正しいものが好結果を生む、それは早くから理解していた。

ならば、正しい力学を具現化するためにはどうするべきか。達したのが、「条件が変われば形が変わってもいい。いや、変わるべきだ」という結論だった。

「パーシモンはなぜクラウンが大きく、ソールは小さいのか。それはソールプレートを付けるためで、大きなソールでは重量が出すぎるから。あるいは、アイアンのフェース形状はなぜトゥが高いのか。パーシモンも同様で、フェースの先にボリュームがありました。いずれも、それは(重量のある)ネックとのバランスを取るための結果としての形でした」。

ならば、ネックのボリュームを抑えればいいではないか。

「アイアンのソール幅はスパッと切るような、構えたときにソールが見えないアイアンがよしとされていましたが、それも単なる昔の名残。重量の関係でワイドソールのアイアンを作れなかっただけで、中空にすれば解決できることでした」。

竹林が取った方法は、一つずつ潰していくというものだった。

「クラブを作るには、当時少なくとも3つの壁がありました。一つは設計技術。いかなる設計にすれば、いかなる結果に結びつくのか。これは経験の積み重ねがとても大きい。今ならコンピュータの3次元CADでシミュレーションすれば、いろいろなことが見えますが、昔は一つ一つが試行錯誤。仮に重心距離38㎜のアイアン。この形状なら設計値どおりになるはずとサンプルを作る。ですが、上がったものを測定すると狙いどおりにいかないこともしばしば。手直しして、またサンプル。その繰り返しで、やっと意図どおりになっていく。こうした経験を重ねるうちに設計の力がついてくる時代でした」。

至難を極めた進化の道、
製造技術、素材の限界



二つ目の壁は製造技術、そして三つ目の壁は素材の制約だ。

「いくら設計技術が上がっても、製造技術が伴わなければ形になりません。素材にしても、ドライバーなら、パーシモン、ステンレス、チタンと変わりましたが、その制約がある中で何ができ、何ができないのか。例えばチタンで200㎤の頃、300㎤ヘッドを作るのは、至難を極めました。ですが、ご存じのとおり今は460㎤も簡単にできます」。

例えば、チタンが徐々に浸透した220〜230㎤の頃、竹林はアルミヘッドでひと足先に250㎤を突破した。また、ホーゼルの上にシャフトをかぶせるオーバーホーゼルを採用した『TC‐550』アイアンでは……。

「オーバーホーゼル自体は、すでに他メーカーも試みていました。ですが、『TC‐550』を出した頃(90年代後半)はカーボンシャフトが主流。カーボンは先端の内径が細く、製造には相当苦労しました」。

オーバーホーゼルは、ネックの重量を減らせるため、重心が低くなり、また適度な重心距離に設定でき、打点のスピードがアップする。簡単に言えば、やさしく上がる。

「さらに、これは二次的効果ですが、ネックが太いため、グースにしてもグースに見えません」。

この性能に飛びついたのが女子プロの村口史子。99年、年間3勝をあげ、賞金女王の座を獲得した。

「ただ、その後は製造技術が進歩して、ホーゼルが短いアイアンも作れるようになりました。オーバーホーゼル作りの難しさを考えれば、ショートホーゼルに時代が向かったのは当然ですね」。

村口史子プロを賞金女王に導いた画期的オーバーホーゼルアイアン「TC-550」。
村口史子プロを賞金女王に導いた画期的オーバーホーゼルアイアン「TC-550」。

がっかりした
パーシモンのような
美しさ?



もう一つ、00年を越えるころには、シャローフェースを採用した、その名も『シャローランナー』というドライバーを送り出す。

「徐々に大型化が進み、ディープフェース(フェイス高50㎜前後)が主流となっていました。ですが、当時のディープフェースは、重心が高いものが多かった。当然、ティを高くしなければディープフェースのよさを引き出せなかったのですが、当時はティを高くすると怖いというゴルファーが大勢いました」

そこで、シャローフェース(フェイス高40㎜)という、形状を大胆に変え、スイートスポットの位置を下げた。

「ティを高くしなくても、普通に振れば、いい場所に当たる。それが狙いでした。それに、そのころは、まだパーシモンの名残があり、ロフトも立ったものが多かった。パーシモンのようにボリューム感あるネックでロフトを寝かすと、ネックにフェイスが食い込み、気持悪さが出てしまうからです。こんなところもパーシモンの弊害だったのです。ですが、頑張って、頑張って、パーシモンのいい機能のみ抽出して作っても、『パーシモンみたいに美しい』、そう言われると、もうがっかりでした(笑)」。

設計、製造技術の進化で
見えてきた新たな形



3次元CADの設計に移って以降、各社、一定の方向が見えてきたのは確かだ。ただ、最初は手探りの部分も多かった。

「最初は、製品化するためではなく、研究用が主な用途でした。ですが、ウチは比較的早い段階で取り入れ、しかも小規模な会社ですから、研究と製品化を同時に進められた。その頃は、慣性モーメント、重心距離、重心深度などと言っても、業界で理解してもらえませんでした。何、それ? という感じ。次第にそれも理解されるようになりましたが、ならば何をもってすれば、どんなスペックなら、性能が出せるのか。10年ほど前ぐらいですかね、各モデル精度が上がってきたのは」。

が、CAD設計ゆえの弊害もある。

「最近の例で言えば、異形。慣性モーメント競争の結果、あのような形になりましたが、(4000g・㎠を超えるとさほど効果は変わらないという)慣性モーメントのメリットを正しく理解していれば、ああはならなかったでしょう」。

今、注目しているのはアイアンの変化だ。

「最初は、軟鉄鍛造がリードしていて、その後、ロストワックス(鋳造)が追い越し、精密化でまた鍛造が先を行っています。#5で38インチの時代が続くなら、このままでいいでしょう。ですが、39、39.5インチになるなら、重量を出さずに設計する新しい形が必要になる。アンダーカットやポケットキャビティ、中空もその一つですが、それにはロストワックスに優位性があり、見直される時代になるはずです」。

大胆に変わるか、それとも……。それはもう少し先のお話。