進化のイデア 第十二章(最終章)
フォーティーンは現代に至るゴルフクラブの進化の礎を作り上げてきたメーカーである。その道を導いてきたのは創始者・竹林隆光。職人の勘に頼っていたクラブ作りに力学を導入し、既存と一線を画したアイデアを形にして、ゴルフクラブを進化させてきたのだ。
記事提供=ゴルフクラシック
最終章 革新的クラブの本質
「運がよかった。この時代に仕事ができて幸せだった」。
これまでのゴルフ人生、設計家としての道のりを尋ねると、竹林はそう振り返った。
「プロの声を伝え、それを職人が形にする。それ従来のクラブ作りでは当たり前でした。しかし、職人の仕事だったクラブ作りが、徐々に科学(力学)的なものへと変わってきた」。
竹林は「技術革新」と「技術進歩」をあげた。
「まず大きな変化はシャフトがスチールからカーボンになったこと。これで一気に景色が変わりました」。
重量との闘い、それはかつてクラブ作りのうえで避けて通れない道だった。ドライバー一つ取ってもヘッドが200グラム、スチールシャフトは125グラム、グリップ50グラム。トータルすると375グラム。昔の単位にすればちょうど百匁。しかし現在のドライバーは290グラムを切るモデルが当たり前の時代。軽量化はゴルフクラブの進化の根幹そのものなのである。
「次にパーシモンからメタル(ステンレス)、ヘッド素材の変化。シャフト素材、ヘッド素材、両者が変わることなどそれこそ何十年に一度のタイミングでしょう。そこにちょうどいられた、とてもラッキーでした」。
さらには、その後チタン、カーボンへ……。
「重心位置の調整や長尺化などは進歩にすぎません。例えば長尺ですが、その後すべてのモデルが長尺になったなら、それは革新と呼んでいいかもしれませんが、実際はそうではない。対して素材の変化はまさに革新。カーボンにしてもメタル(チタン)にしても、その後、状況は一変しました。ほとんどの人が経験できないことを僕は体験できた。ありがたいことです」。
クラブが変われば
スイング論も変わる
そんな中で竹林が常々求めてきたのは力学的優位性。
「ドライバーの長さにしても、僕がゴルフを始めたころは42.5インチでした。ですが、今は46インチを超える時代。ただ、これも理想の長さがあるわけでなく、あるのは長くなればヘッドスピードが上がるという事実。僕らがやるべきことは、これを例に取れば、いかにゴルファーに長さを感じさせないか、一方で長さのメリット(力学的優位性)をいかに感じさせるか、それを追求したクラブ作りです」。
クラブが進歩して、ゴルファーが使いこなす努力をする。すなわち、スイング論が変わり、またクラブが進歩する。
「パターで見ると理解しやすいでしょう。ネオマレットという新しい形状が出てきてゴルファーの試行錯誤が始まりました。クロスハンドをはじめグリップそのものが変化し、ストロークもフェイスローテーションさせない、インパクトでパンチを入れないものへと変わりました」。
とりわけ、この事実を大切にする。
「近年、フィッティングを重視する傾向がありますが、僕の考えは違います。仮にマシンなどで自分のスイングがわかったとしても、クラブが変わればスイングも変わってしまう。計測器もそう。スピン量などのチェックには有効ですが、これも同じ理由から、“アナタに合う”を見つけるべきものではありません。クラブが進歩して、ゴルファーが練習で努力する。だから、ゴルファーは上達できる。ゴルファーに合わせたクラブでは、進歩はありません」。
打てない番手を
打てるにする
といっても小難しいクラブを打てるようになれ、そう言っているわけではない。むしろ逆である。
「ゴルファーが、よりやさしく、簡単に打てるクラブを作るのが僕らの仕事。いかに打てないクラブをバッグから外させるかです」。
長尺ドライバーの別世界も、中空ロングアイアンの高弾道も、そしてハイスピンウエッジのキュキュッ、ピタッも、すべてはその考えから生まれたものだ。
「いまだ解決できていないのはアイアン。一般のゴルファーは昔も今も、ロフト30度以上のアイアンしか打てていません。今後、30度未満のアイアンは劇的に変化していくはずです」
ゴルフ業界に入った当初、自分が打てない番手をクラブの力で何とかしたい、その思いが強かった。そして、その考え方は、最後まで変わることはなかった。
「最大公約数的なものを目指してクラブ作りをしたことは一度もありません。マスに合わせると中途半端なものになる。個性のないクラブになってしまう。長尺もハイスピンも、常に誰か(打てないゴルファー)のため、それを念頭にやってきました。その誰かが自分のこともしばしばあったのですが(笑)」。
あらためて、運がよかった、竹林はそう繰り返した。
「中空にしても長尺にしても新しいものが売れる保証はどこにもありません。幸い自分が置かれた環境が、売り上げ優先ではなく、新しいことに挑戦できる場所だった。普通のメーカーなら売れないものは出せませんから」。
飛び出したようでも
手のひらの中だった
「自分の中にある常識を否定できなければ新しいクラブは作れない。僕のクラブ人生は柔軟化の20年でもありました」。
プロの声が必ずしも正しくない。あるいは、その感覚が正しく伝えられていない。既存の正しいとされる理論もしかり。うまいゴルファー(プロ)に見せて、いいクラブというお墨付きをもらえばいいという世界ではない。素材が変われば今ある形は変わってもかまわない。気持ちのいい形は時代とともに変化する。
クラブ界における数々のタブーに挑戦し続けた印象だが、本人にすれば、まだまだ枠にとらわれていた部分があったのかもしれない。
「常識を飛び出したと思っても、結局はお釈迦様の手のひらの中だったような気もします」。
『西遊記』の孫悟空に例え竹林は振り返った。
「いちばん飛び出せたのは、やはり48インチのドライバーですね。気持ちとしてはもう少し短くてもよかったのですが、当時ゴルフ界が沈滞していたこともあり、なるべく常識外れでデビューして話題を作りたかった。刺激を与えられたのは本当によかった」。
フォーティーンは創始者・竹林隆光の思いを継承し、
私たちにしかできない個性のあるクラブ作りに邁進してまいります。